2017年1月17日火曜日

センター試験を無事に終えました。

息子のセンター試験が無事に終わりました。

なんどか記事にしていますが、
息子の入試や進学に伴うあれこれを、
私が無事に乗り切ることが、
この一年の大きな課題と感じて過ごしてきました。

とりあえず、大山を越えた感じ。

どうにか(私が)無事に、
ここまで過ごすことができました。


終わったら息を抜こうと思っていたのですが、
抜けたのは、息ではなく、気、という感じ。。

気が抜けて、、、、


改めて、とっても自分が張りつめていた、
息を詰めていた、
ことに、気がつきました。


双極性障害になる人は、おしなべて、
窮屈が苦手、と言います。


私は、自分の大学入試を前に、
とっても自分を窮屈に追い込んで、
センター試験でパニックらしき状態になりました。

それが、とっても、苦い思い出としてあったのも、
息子の入試が自分にとり重荷と感じる背景に、あるのでしょう。


息子は、私と違い、大らかに、試験前を過ごし、
試験当日の朝も、鼻うたを、いや、大きな声で歌をうたいながら、着替え、
模試でも受けるかのような様子で、
でかけてゆきました。


試験が終わって一日あいての今朝、私は、
息子の邪魔をせずにすんだことを思い、
私を支えてくれた周りの人たちに感謝し、
そして、自分は、邪魔しなかっただけでなく、
息子をけっこう、支えられもしていたのかもと、思うことができました。


まとまりませんが、、、、
とりあえず、気が抜けています、の報告でした☆

2017年1月8日日曜日

好き、好き、わたし。・・・双極Ⅱ型障害の養生の先に現れてきているもの。

大げさなタイトルですね〜。。

双極Ⅱ型障害の体験は、とてもキツイものでした。
このブログを読んで下さっている方のかなりの人たちも、
そのキツさを、体験した、あるいは体験している、のだろうと思います。

精神科で、薬と面接による治療を受けたのと並行して、
家で自分で行なう、いわゆる養生、というものがあります。

名医(たぶん)は、おそらく、
私を治そうというよりは、
私が自分を治すことができるよう、導く、という思いで、
診療にあたってくれていたと思います。

そのなか、フォーカシングを覚えたり、プロセスワークを覚えたり、
あるいは、なんちゃって気功やら、今でいう、ヒーリング、
時に、鍼灸マッサージや、エネルギ―治療(?)、占い・・・
そして、家族や知人たちとの、かかわり。

試したことはたくさんあり、
関与の量の違いはあれど、色々が少しずつ、作用して、
病の、あるいは人生の、治癒へと、私を導いたと思っています。


その、双極Ⅱ型障害の治癒、、
具体的には、自分で「治った!」と感じ、薬を卒業し、
その一年後には、治療目的での定期通院を卒業し、となったのですが、、、

それをもって私は、なんていうか、、、
自分というものが、あるべきところへ落ち着いた、
年齢なり以上の、到達点に達した、ように思っていました。


それが、2008〜2009年あたりのこと。


でも、去年の今ごろから、なにか、予感のようなものがあって、
名医(たぶん)のもとへの定期通院を再開し、
それから、気力や気持が安定しない、波のある一年を過ごしたのですが・・・


うつ傾向の時期って、動けなくて、だめだめで、で、たくさん気づきが生じる。
躁傾向の時期って、現実の対応はさくさく進む一方で、わりと内面は変わらない。

昨年は、一年を通して前者の傾向が強かったのかなと、ここ数日、思っています。


ひとことで言うなら、自分を好きになった。
完全に、手放しで、好き、までには至っていないかもだけど、
自分を好きでいる自分、好きでいたいなと思う自分、が育ってきた。

これ、かな〜り、それ以前とは違うように、感じています。



まあまだ、過程・途上という感じでして、これがどうなるか、、、
内面の変化が定着し、周囲が、現実が、違ったものになってゆくのは、
まだ少し時間がかかるのでしょうけど、、、
なんだか少し、、、楽しみ、、というか、、、
いや、未来がどうというより、今が少し、楽になって感じています。


まあまだ、手放しで「好き」とか「オッケー」って感じではないので、、、
自動車の教習でいえば、仮免許を取得でき、
路上教習が始まった、ってあたりですかね〜(笑)


自分を好きでいる。
考えることなくそうである人もけっこういるのでしょうね。

自分を好きでなかったらしい、これまでの自分(の部分)にも、
好き好きビームを、当ててみています☆

2017年1月4日水曜日

今年もよろしくお願いします。

ということで、2017年が始まりました。

受験生の息子が少しも受験生らしくならないおかげで、
夫婦双方の実家に家族でゆっくり滞在できた元日。

その夜になって、息子が、
実は大晦日の朝から喉が痛かったのだと言い出し。
二日の朝になったら、高い熱が出ていました。

インフルエンザの可能性も考えられるため、
本人のみならず、私も家内も、
その後の外出を控えて。
地味〜な、正月となりました。

家事をして、菓子を食べて、読書。
読書は、『続 解離性障害』という本を、読んでいました。

・・内容が、普段の原稿を、さして離れずで。
・・休んだような、、そうでもないような。。

年末は予定より半日多く、30日の昼過ぎまで机に向かい、
その後も、家事をかなりやったので、
年始の休みを予定より長くとろうと思っていたのですが、
予定通り、今日から、机に向かっています。

と言っても、開いた病院へ家内が息子を連れて行き、
その代りに、朝の家事をあれこれやっての、スタートでしたが。



さて、新しい一年。
息子は門出を迎えるかもしれず、
私は、双極Ⅱ型障害の体験記『あ、ひらおよぎ』を書き出して、10年目に入る。
そして同時に、40台最後の一年となります。

2016年は不安に頭をかなり占められちゃったけど、
2017年は、目の前にある課題に、これまで以上に、意識を留めて。

たくさんの人の役に立つ仕事をこつこつとしていたんだなと、
あとになり振り返り自分で納得し感涙できるような、
そんな一年に、したいと、思います。


今年もよろしくお願いします☆

2016年12月30日金曜日

今年もありがとうございました。

12月30日の夜です。

明日をもって、2016年もおしまい。

私の今年は、大波小波が絶えない、わりと安定しない一年でした。

昨年はどうだったのだろう、と昨年末の記事を読んでみたら、
けっこう安定した、前向きな一年だったようなことが、
書いてありました。

まあ、、、年による特色って、ありますよね。

安定しない一年のなか、改めて認識したのが、
泣き言を聴いてくれる知人たちの存在の有り難さでした。

主にはメールで、時に会ってお茶を飲みながら、稀には電話で。
プロとして会う医師やマッサージ師には、面接や施術の時間を通して。
解決の秘策の見出せないあれこれについて、
嫌がることなく聴き、読み、受け入れて、
寄り添い、信じ、違った視点からの前向きな見方を、
返してくれる。

その内容もそうですし、
その、聴いたり語ったり書いたりしているあいだ、
私のことだけを想ってくれている(た)であろう感にも、
私は暖められ、救われて感じました。

振り返るまでもなく、知人たちとのそうした関係は、
病気(双極Ⅱ型障害)になってからのものです。
病気になるまでの自分に、そうした、
自身の気持をさらけだせる知人は、
いませんでした。

病気になってからそうした知人たちを得たという面もあるし、
病気になる前からの知人たちとの関係が、そのように深化した、という面も、あります。

TwitterもFacebookもやっていない私。
ブログは、比較的、一方通行の関係になりがちですが、
それでも、ときには心温まるコメントをいただき、
そうでなくとも、
管理サイトに表示されるいくつかの情報から、
読んで下さる方の存在を日々感じ、
ブログや原稿を続ける力を、得てきました。


来年は、順調にゆけば息子が家を出ますので、
私の日々も随分変わるのだろうと思います。
病気の私のそばにいて、最も癒してくれた存在とも言える、息子の巣立ち。
精神的にも、金銭的にも、
来年はなおいっそう、大波小波を生きることになろうかと思いますが・・・

できれば、安定を得て、
この一年、私をとっても支えてくれた、
知人たちや読者のみなさんや家族の、支えに、
私が、もっとなれたらなと、願っています。


2016年。この一年間の、みなさまの支えに、縁に、改めて感謝申しあげます。
2017年が、みなさまにとって、
より苦しくない、より楽しい、より充実した、素敵な一年に、なりますように☆

2016年12月26日月曜日

自分が成したことの方にも目を向ける。 双極Ⅱ型障害の治癒過程でも・・

暖かい12月だなと思っていたら、急に冬の寒さですね。。


前回の記事で触れた、マッサージの先生の言葉。
具体的には書きませんでしたが、そのひとつは、
私が四苦八苦しつつ書いている原稿が、
いつか人々の役に必ずたつだろう、というものでした。
先生自身も、読むのを、楽しみにしている、と。


帰りの車の中で激泣きした私。


その記事を書いた少しあと、
こんどはきょうだいとの久しぶりの電話で、
息子が家を出る日が近いであろうことの泣き言を連ねていたとき、
息子をそこまで育てられたことについて、
称賛というか、労いというかの、言葉をもらいました。


電話を切って、激泣き。


・・二つの出来事の合間に、友だちとのメールの遣り取りのなか、
温かい言葉をもらって、涙ぐんだりしてまして。


直近の三回の、その、涙の自分を省みるに、
私は、
自分が、普段、
いかに自分を否定する思いばかりとともに暮らしているかということを、
改めて感じました。


・・原稿は人々に受け入れられないのではないか(これは未来のこと)
・・息子になにもしてあげられなかった(これは過去のこと)
・・自分のことを想ってくれてる人はいない(これは現在のこと)


今年になり、精神科の定期通院を自発的に再開し、
色々を省みたり、取り入れてみたり、試行錯誤するなか、
以前にくらべて、格段に、自分を受け入れ、のみならず好きに、
なっていたと、思っていました。

でも、頭の中の言葉たちは、
自分を否定・・・疑い、責め、悲嘆していた。


自分を抱え支える自分が、自分の中に育つことを、
名医(たぶん)の面接では、一貫して目指しています。

そういう自分が育ったからこそ、
双極Ⅱ型障害という、
おそらくは、そこから抜け出せずに苦しみ続ける人の多い病を、
私は一応、卒業できたのでしょうが・・・

前に前にと思う気持、遅れを取り戻さなければと焦る気持が、
再び、自分を痛めつけていたように、感じます。


今はまだ、自分を自分で、抱え支えきれない。
でも、そんなときに、私に別の見方をくれる、私の味方をしてくれる、知人たちが、
それは、商売上の関係にせよ、個人としての関係にせよ、
あるいは、このブログのコメント欄を介した関係にせよ、
今の私には居る。


自分が果たすかもしれないこと。
自分が成したこと。
自分にあること。


三度の涙のあとから、ずっと続いていた、早朝の目覚め時のひどい不安感・緊張感が、消えています。


マイナスや無いもや悲観ばかりでなく、プラスや在る(有る)ものや楽観も、
忘れず見つめていたいなと、
改めて思いました☆

2016年12月21日水曜日

自分を信じる。 双極Ⅱ型障害の治癒も・・

備忘録的に、今日の気づきをふたつ。


ひとつめ。

自分を信じる、ということ。

名医(たぶん)に半年程前?に指摘されるも、ぴんときていませんでした。

今日、マッサージの先生と話していて、
自分よりも、マッサージの先生のほうが、
わたしのことを信じてくれている様子に触れ、
自分が自分を信じていない、疑ってばかりいた、ことに、
気づきました。

それで思い出したのが、
双極Ⅱ型障害の治癒過程のこと。

自分を信じる、ということが、
病気を治す、人生を治す、
かなり大きな要因となったことを、
久しぶりに思い出しました。

自分が自分を、疑い、裁き、痛めつけてばかりいては、
疑われ、裁かれ、痛めつけられてばかりの自分は、
元気なんてでないですよね。



ふたつめ。

その、マッサージの先生や、名医(たぶん)も含め、
自分が、良縁に恵まれているな、ということ。

これは、双極Ⅱ型障害になる前も、
そのときの私にとっての、最良の縁に恵まれていたとも思うけれど、
双極Ⅱ型障害になってからこっちの、
出会ったり、再び結びつきが強くなったり、の人たちに、
強く、良縁を感じました。

少し前に記事にした・・しましたっけ? HSPの本に、
HSPの人は、色々な面で、量より質、であると書いてありました。
自分に、友だちが今は少ないこと、なかでも、同性の友だちが少ないことに、
意識が向いていましたが、
ときおり会う人、メールだけの人、自分が患者などとして会う人、
ブログのコメントを下さる人、下さらなくとも読んで下さっている人、
そして、今の家族や、親など、
良縁に恵まれていること、囲まれていることを、
今日はひしひしと感じ、繰り返し、涙しました。
このことも、病気の治癒が進むにつれ、強く認識していたのに、
このところずっと、意識が向いていませんでした。



あ、みっつめ。

そうした、自分を信じる、良縁を再認識する、と同時に現れた、
やはり、病気の治癒が進むに従い、強まっていた、感覚。

それは、「かみさま」とか「大いなるもの」とか「流れ」とか「運命」とか、
呼び名はどうともできるのでしょうが、
自分を運んでゆく、自分の力が及んでいない、なにかに、
自分は裏切られたことがないと思えること。

それは、もちろん、苦しかったり、辛かったりの、
そのときどきの、修行のような状況は、やってきますが、
それも含めて、長い目で見ると、納得のいく方向へと、
自分は流されてきていると思うのです。
あるいは、変な方向へ行きかけると、強引ともいえる、修正が入る。
そのことも含めて、確かな方向へ、流されていると。

そういう意味での、その采配の主体たる「かみさま」を、
信じようと、改めて、思いました。



ということで、揺れは続いていますが、
揺れることで、固着していたおかしなところから離れ、
落ち着くべく場所へと移動するのかなと、、、、
そんな風にも思えます。



わたしのブログをこうして読んで下さっているあなたに、
あなたとの縁をつなげてくださったかみさまに、
感謝します☆

2016年12月20日火曜日

置いてきた自分 双極Ⅱ型障害の症状もそうだったのかも・・(「解離」からの連想)

落ち着かない日々。
毎日が、毎週が、あっと言う間に過ぎて行きます。

毎日、「明日は休んで、なにか楽しいことをしたい」と思うのですが、、、
昨日も、映画を観に行こうかと思っていたのに、
あまりに天気が良く、、、
結局は、溜まっていた、外での作業を要する家事を中心に、
朝から晩まで、ばたばたと動いてしまいました。


あれをしなくては、これもしなくては、
と思いながら、先延べにしてきた、あれこれ。

やるのって、リアルに、時間がかかるのですね〜。

先延べにして、原稿を書くとかの、優先すべき課題をやってきたわけですが、
結局こうして、作業をやるために、
時間をまとまって使うのだな、と思いました。


昨日は、過去に、やらねばと思いつつ、
それをすぐには実現せず、他を優先して、
先延べにしてきたことを、まとめてやったのですが、、、


思ったこと。


双極Ⅱ型障害の、症状を中心とした、苦しかったあれこれも、
過去に、なんらかの事情があって、
先延べにしてしきたことを、一気にやった、という見方も、
できるな〜と思いました。


というのは、先日の受診のおり、
「解離」ということが、話題になりまして。

勧めてもらった本をまだ入手していないので、
解離についての詳しいことは分かりませんが、
名医(たぶん)の説明を聴いて、私が思ったのは、
過去に、なんらかの事情があって、実現せずきた自分、というものを、
実現するよう促しているのが、
症状やらなんやらの、、、、なんていうか、、、
自分に濃く起きている諸々、なんだなーと、いうことでした。

(自分の中でもまだきちんと把握していないので、説明が分かりづらくて、すみません)

例えば、私は今、
とっても、色々に過敏で、細かい一辺倒で、そしてすぐに揺れる。
でも、子どものころからの私は、そうではなかった・・・ように、生きていた。
でも、子どものころからの私は、そうした、繊細で脆い自分を、表現することが、
事情によりできなかった、自覚なく抑え込んでいた、のだろうと、
名医(たぶん)の話を聞いてから、思えるのです。

やるべき家事に気づきながら先送りしてきただけでも、
身の回りに宿題が積上っているような、重さがある。

先送りにし、表現してこなかった、生きてこなかったのが、
自分の在り方の一部であれば、
それは、重くなってゆくよくよな〜と、
思います。


繊細で脆くてすぐに揺れる自分。


息子の受験を期に、それが大きく現われ、困惑していましたが、
そーいえば、そういう面が、自分にはけっこう濃くあって、
でもそれを出せずに来てしまっていたな〜、
それが出たい、そういう自分も生かして欲しい、
そう、なんていうか、、、(解離していた)自分が感じて、
こうして、しゃしゃり出て(?)いるんだな〜、


そう思って、受け入れる気に少しなったら、
なんだか、少し、気が楽になりました。


数週のあいだ先延べにした家事、どころの話でない、
数十年のあいだ抑え付けていた、自分。


まだ、それを、感じたり連想したり、し始めたばかりです。

色々な、自分を、思い出して、生きさせて、あげたいな〜と、
終日動いて疲れた、でも色々が片付いて、充実も感じた昨日を思い返しつつ、
思っています☆







2016年12月14日水曜日

落ち着かないなかの落ち着き  双極Ⅱ型障害のころも・・

息子の受験日が間近でして。

落ち着かない日々を過ごしています。


それでも、しばらく続いていた不安定さが、
昨日から、ちょっと和らいでいます。


落ち着かない中、落ち着きを得ることとなったきっかけと思える、いくつか。


ひとつは、通院頻度を上げていること。

今年になってから、
この時期に不調となり息子に迷惑をかけぬよう、との思いもあって、
精神科への定期通院を、久しぶりにしてきています。

それを、4週間隔くらいできたところを、このところは1〜2週間隔にして、
診察室で、溜まった思いを放出し、また、助言を得てきています。
一昨日も行き、
この落ち着かなさに焦点を絞っての面接ではなかったのに、
かなり落ち着きを得ました。


それから、深呼吸や、なんちゃって瞑想を、していること。

瞑想というものを、きちんと学んだことはないのですが、
とにかく、息をゆっくり深く吸ったり吐いたりして、
今ここに、意識を戻す、と。
これまでも、それが良いと思いながら、忘れがちでしたが、
気がついたときにちょこっとずつ、やっています。
不思議と、気持が、静かになりますよね。


それから、自分の、成してきたこと、プラスの面、をあえて自覚すること。

これがなんで効くのか、良く分かりませんが、
自信を思い出す=安定を得る、みたいな構図なのかな。
けっこう効いて感じます。


あとは、これは名医(たぶん)に繰り返し言われていることですが、
起きていることは完全である、と思う(思い出す)こと。

双極Ⅱ型障害の体験や、その中で思い出した、そこに至るあれこれの体験。
どれもが、最悪の体験のようでいて、
後になって思うと、それらなくして今の、納得ゆく自分はなかったと思える、
最善かつ完璧な体験とも、思えるようになりました。
そういうことを思い出し、全てが、起きるべくして起きている、
必須の体験なんだろうなと、思うこと。



なんだか、書き出してみたら、色々ありますね。
小技も積もれば大技か(笑)


あ、それで思い出しました。
前回の記事、「あぁ〜、楽だぁ〜!」に対する、名医(たぶん)の見解も、
「効きますよ。日々唱えていれば、変わってきますよ。塵も積もれば山となる、ですから」
というような内容でした。
ということで、「あぁ〜、楽だぁ〜!」も、
落ち着きを得るのに役立っている小技に、追加。



・・・そーいえば、、
双極Ⅱ型障害の当時も、こんなでした。
私の性向でもあるのと思いますが、
こういう、ちょっと本流から外れた?ような小技が、子どもの頃から好きで。
病気の当時も、ちょこちょこと、色々を取り入れ、
それらが少しずつ、力となって、
双極性障害からの卒業を導いたように思います。


あ、そうそう、
受験の当事者たる息子は、ぜんぜん、落ち着いてなくはないのです。
勉強もさしてしてないし。
普段通り、というか、普段にも増して、
遊んだり、寝たり、出掛けたり。

まあ、自覚はともかく、どこかで感じているであろうプレッシャーを、回避する工夫として、
そうやって、息抜きをしているという面も、大きいのでしょうけどね。


今週末の受験が終わると、少し、息がつけます。
願わくば、このまま私が崩れず、
せめて息子の邪魔をすることになりませんように。


深呼吸。大丈夫☆

2016年12月7日水曜日

自分が変わると世界が変わる  「あぁ〜、楽だぁ〜」の効果・・

昨日書いた、「あぁ〜、楽だぁ〜」の・・・マントラ??

自分の口をついて出たそれが気に入り、
ふとしたときに、
なかでも、
楽でなく感じるときに、
「あぁ〜、楽だぁ〜」
と、復唱していました。

そうしたら、今日、
長年、苦労をしてきて、
このブログでも夏になるたびに話題にしてもいた、
隣地の草刈から、
完全解放されることに!

それは午後のことなのですが、
午前にも、
念願だった、
息子を学校へ送ってゆく途中で、
学校をさぼって二人で喫茶店でお茶をする、
ということが、
急に叶いまして。

後者は「楽する」ではないけれど、
この上なく「楽」しい、時間でした。


昨日思いつき、体感しだした状態に、そぐう状況が、
こうやって、すでにふたつもやってきた!

いや、もっとあったのですが、、、
それらは書くのが楽じゃないので省略します(笑)


いま、原稿の中の自分の読書体験を書き改めるため再読している、
『うつ病新時代 〜双極Ⅱ型障害という病』(内海 健)
という本に、
うつ病の罹病中に、
しっかりとした精神療法をするのはよくないけれど、
双極Ⅱ型障害の人は、しっかりとした精神療法で効果がでる、
あるいは、それをしないと、なかなか改善しない、
というような記述がでてきます。

私の、双極Ⅱ型障害の体験でも、
うつ病と私を診断し、
薬だけで治そうとしていた医師のもとでは、
改善はせず(というか悪くなり)、
双極Ⅱ型障害と診断し、
薬と精神療法を併せて用いた名医(たぶん)のもとで始めて、
治癒へと向かいました。


その、精神療法が、なんていうか、効果を示し始める、転換点となったのは、
視点の変化、考え方の変化、あるいはそれらの多様化、でした。

その、視点や考え方が変わった・増えたとき、
それはそれで、印象深い体験ではあったものの、
それだけのこと=頭の中だけの変化で、
自分の暮らしや、ましてや、周りの人は、
変わらないのではないかと、問うた私に、
名医(たぶん)は、
「内側が変わると外側も変わる」
「自分が変わると世界が変わる」
というようなことを、言いました。


実際はすみやかにその通りになり、
追って、
自分が変わる、世界が変わる、を繰り返して、
治癒へと進んだのですが・・・



自分が変わると世界が変わる。



「あぁ〜、楽だぁ〜」

「楽」がもたらすイメージに、たくさんの収入がある、という図も、
ときおり滑り込ませています(笑)

それも、具体的でかなり大きな金額とともに(笑)

精神療法による気づきと、
マントラによる体感は、
似て非なるものかも知れませんが・・


お金は果たして、どうなることやら☆

2016年12月5日月曜日

「あぁ〜、楽だぁ〜」 

へんな件名ですね。


穏やかな日々が続いており、通院を重ねている先の名医(たぶん)を始め、
周りの人やものごとに、感謝しておりましたが、、、


急落!!


びっくりレベルの、短期間&大幅な、急落を迎えてしまいました。

ちょうど、受診予約が入っており(こういうタイミングって、予感があるのですかね〜)、
診療室では色々を吐き出し、激泣きし、
実家にも寄って母にさんざん愚痴り、
帰宅して、原稿に向かい、、、

かなり気持が整ってきての、夕方の散歩中。

大きな公園の、木立の間の暗い道、
まだいくらか明るい空には月と金星。

歩きながら、受診の会話を思い出していて、
より楽になる生き方を、
私は採ってもいいんだよなと、思ったあと。

ふと口をついて漏れた言葉が、

「あぁ〜、楽だぁ〜」

でした。

音の感じとしては、「あ」に濁点がついた感じなのですが、、、
それを表示する方法が解らず。。

スピリチャル系? の自己啓発書を読むと、
しばしば、「マントラを唱える」とか、でてきますよね。
自分の潜在意識にある言葉を変える、信念を書き換える、
みたいな文脈で。

そんな意味あいの使い方をする言葉として、
この、「あぁ〜、楽だぁ〜」が、
わたしにはぴったりのように、思いました。


双極Ⅱ型障害になるような、楽ではない、
考え方や生き方を、
長くしてきた私。

病を経て、楽な、、、
それは、自分の、脳を含めた心身に楽な、
考え方や生き方を、
体得したはずなのですが・・・


喉元過ぎれば熱さを忘れる、というか、
病が治れば体の声を聞かなくなる、というか、、


「あぁ〜、楽だぁ〜」


帰り道に在っていつも寄る、
住宅街の中の小さな神社でも、
手を合わせて、その言葉を、唱えてきました。


「あぁ〜、楽だぁ〜」


体は歩きながらも緩み、緩んだことで、
急落し、不安と緊張で、張りつめていたらしい筋や腱の存在が、
急にくっきりと、在り在りと、感じられました。


「あぁ〜、楽だぁ〜」


今までの私が常々認識していたのとは違う、
そんな状態を、
私はより多くの時間、選んで、生きていきたいと、思いました☆