2017年3月28日火曜日

コメントありがとうございます。

ゆうたんぼーさん、SAEさん、匿名さん、
コメントありがとうございました。

コメント欄での返信を、と思いながら、辛くてそれさえままならず。
ここからのまとめてのお礼で失礼します。


同じ苦しみを知っている方たちがこうしているということが、励みになります。

私もそういう役を、果たせてもいたのですね。

できれば負けないで、再び生き抜きたいと思います。


読んで、心配してくださっている皆さんにも、お礼申し上げます。



(コメント返信、しばらく書けないと思います)

2017年3月26日日曜日

正視に耐えぬ・・

辛い日々です。

とりあえず前回の記事以降、急落はしていません。

訳のわからない死ぬほどの苦しみ、狂気、がやってこないのはありがたいですが、
現実が見えてしまったことによる、現実的な苦しみに、
24時間苛まれている状態です。

今朝は悩んでいてもしかたないと思い、
目覚めてしまった早朝から机に向かってみました。

これまでに積み重ねてきた原稿を、眺めてみるも、
玉石混交のうえ、すごいボリューム。
6章まではそれでもかなりのところまでできているのですが、
最終章である7章が、まだまだ。
えっと、、、、原稿用紙換算で、2000枚、あるのです。
それを800枚くらいまでに削ってあったのですが、
その、削ったもののほうを読んでみたら、全然面白くない。
つまりは、2000枚から、改めて削りなおしかと思って、
呆然としました。

7章がもし形になったとしても、
1章から改めて、整理し、スリムにし、さらには登場人物のプライバシーを改変し、
としてゆくには、まだまだ膨大な時間とエネルギーを要することを、
改めて確認した感じです。

そうそう、おとといと昨日は、
短い原稿を新たに書けばいいかと、書き出してみたものの、
繰り返し書き直してきた内容だからでしょうか、
エネルギーが湧きませんでした。

では、諦めてしまおうか、と仮に考えてみるも、
諦める=9年間のほぼ全てをかけた対象を捨てることの辛さに加え、
仕事に出ることの怖さ、
などに襲われ、、、

行くも地獄、行かぬも地獄、な感じで、
狂気にさらわれかける感じです。


ほぼ同じ心境の描写が、今日読んだ原稿の中にありました。
双極2型障害を卒業した体験の原稿を書いていたのに、
その入り口に、いつしか戻っていた感じです。


昨日いただいたSAEさんのコメントのように、
違った面を見て下さっている方も多いのかもしれませんが、
毎回、暗い記事にお付き合いくださり、ありがとうございます。

先ほど、息子に諸々を謝り、泣きつき、助言を求めたら、
良き編集者の方に、相談すること、と言われました。


知り合いもなく、それはそれでハードルが高いですが、
失うものもない状態。

探して、そうしてみたいと、、、、怖いけど、思いました。
ここにこうして書くのも怖いけれど、、
読んでくださっている中に、こころあたりの方がいらっしゃいましたら、
ご紹介ください。

2017年3月23日木曜日

再びの急落と生還

(このところずっと雑な文章ですみません)


いや〜、、、きつかったです。今回も。
超、落ちました。

躁とうつの、ラピッドサイクリングではないかとの問いは、
名医(たぶん)にしてあるのですけどね。
そうではない、との見解です。


今回は、今までの落ち込みの中、最強でした。
苦しくて、怖くて、七転八倒。
薬を飲まないと耐え切れないと思い、病院に電話したものの、
予約がいっぱいで受け入れてもらえず。

そんななか、状態を知った知人が気を効かせて送ってくれた、
レスキューレメディーを頼りに、
なんとか生還しました。


今回出て来たのは、「現実を受け入れる」という課題でした。


息子が家を出ること。
双極性障害の体験を9年に渡り書きつづけている作業が、疲れて厭になっていること。
その体験記が出版に到ることは、ない可能性が大きいこと。
お金がないこと。
収入を得るための仕事に出なければならないこと。
でもそのために必要な安定も気力も体力もないこと。


それら、なかでも、出版に到ることがない可能性が大きいことを、受け入れると、
9年間が無駄だった、振り出しに戻る、ということになる。
過去には、獣医としての仕事が、頓挫し、投出し。
今度は、本を書くということが、仕事になる前に、頓挫し、投出し。

50近くにして、なにもなし、になるのです。

こんなはずじゃぁ、なかった。

そうなったら、もう、人生おしまい。
なので、苦しくて、現実を受け入れられず。
でも、受け入れないからといって、そうなる他の道は見えず、
やっぱり人生おしまい。


図式化すると、そんな感じでした。


薬の処方は「やめましょう」ということに前回の受診でなっていました。
薬を飲めば薬に頼り、体の声が聴けなくなる。
なので、ならば、飲まないで耐えたほうが良い。
そういう理由だろうと思います。

でも、薬を飲まずに耐え凌ぐには、辛過ぎて、
上に書いたように、病院に電話をしたのですが、
予約がいっぱいで、受け入れてもらえずでした。

それでも耐え切れず、9年前の薬があったのを思い出し、ひっぱりだしてみたもの、
家内に、「先生が薬に頼らないほうが良いっていったんでしょ?」と言われ、、、


耐えて対峙しようと、布団に戻り、
でも症状のメッセージを聴くどころの余裕はなく、
でもこのまま、つまり、受け入れないままでは死ぬ、あるいは死ね、ということだなと感じ、
症状に、降参して、上に書いた、受け入れられないでいた諸々を挙げつつ、
ひとつひとつに「受け入れます」と誓い、、、

最後の誓いを唱えたあたりで急に眠りに落ち、
数秒後だか数分後だかに目覚めたときは、
苦痛はほぼ消失していました。

でもその、消失し残した部分が、再び勢いを得て行くのではないかと怖く、、
体を感じ、出版されない可能性が大きいことを、受け入れきれていないことを感じたので、
正直に、「受け入れるよう、努力します」と誓い直したら、
残った苦痛も消えました。


いや〜、、、思いもかけない幕切れで、生還です。

で、、、これで終りだと良いのですが、、、、

名医(たぶん)には、前回の受診で、まだまだありますよ、と言われており。。

でも、前回の記事で書いた「副人格」を、
一括で、
成仏だか統合だかしてもらう方法を教わっており、
その形でこちらから呼びかけ続けてはいたので、、、


しかし、いやはや、
大変な時期を、迎えているもんです。。


脳(思考)が、現実(体、世界、他人)を、
好きなように変えられる、言うことを聞かせられる、と思っていたのかなと思いました。

そりゃ、、、世界がこっちの好きなように変わるわけないし、、、、
頓挫しますよね。
大きさが違って、かつ徒労に終わって、、疲れるし。。

それから、解離という観点で言えば、幼い自分が、
激しく怒ることの多かった父を始めとして、
現実を現実として受け入れると自分が壊れてしまう体験を、
積み重ねていたのだろうと思いました。


さて、症状が消えたことは嬉しいけれど、
50歳を前にして、なにもない地点から再出発です。


どうなっちゃったんだか、どうなってゆくのだか、私の人生。

まあ、とりあえず、その情けない自分の受け入れと引き換えの生還。
再出発です。

幼いころから非現実を生きてきてしまっていたなら、、、、
残り短くなってしまっているけど、この先きっと、
なにかが良くなってゆくのでしょー。


(追記:前回の記事の終わりが、「世界と向き合って行きていこうよ」だったことに気がつきました!
そしてかなり前に図書館に予約した図書『降参のススメ(阿部敏郎、雲黒斎)』がちょうど私の順番になりそうです)

2017年3月17日金曜日

「解離」という見方で見てみています・・

記事に書き続けている、急落と、一両日程度での回復の、繰り返し。

いや〜、、、、なんか、、、疲れました。
ものすごい苦しいんですよ、急落すると。
双極Ⅱ型障害の、もっとも苦しかった時期と、同じような苦しさ。
あまりの苦しさに、握った手の爪痕が、手の平に残ることもあります。

直近の苦しさは、息子が家を出る日が近づいていることへの、、、、恐怖。
なんでそんなに苦しいのか、
理由や理屈は色々思いついていましたが、、、
一昨日の夜中に目覚め、恐怖に落ち、、、

希死念虜を抱えた人も読んで下さっているであろうブログとして、
適切な表現ではないとは思いますが、いわば、
「死ぬかと思った」
夜でした。

息子本人に助けを求め、手を握ってもらい、
かみさんに助けを求め、手を握ってもらい、
でも、解消しない。

フォーカシングを試みるも、「部分」ではなく、全身が、
この感情になってしまっている状態で、
うまくやれない。

ふと、『やさしいフォーカシング』に、
感情に飲み込まれているときに実施した例が載っていたことを思い出しました。
起き出して読んでみると、実施した人の状況や状態が、
自分の状況や状態にそっくりでした。

そして、その人が得たフォーカシングの結果のように、
自分の中に、幼い自分が居るように、私も感じ、、


――ひとりにしないで!――


内なる自分の言葉が出てきたのをきっかけに、少し、落ち着きを得ました。


その日はちょうど受診の予約が入っていました。
診察室で、私がいま、どんな状況にいるのか問うたところ、
名医(たぶん)が言ったのは、簡略化すると、

「幼いころに解離したたくさんの副人格が、
いま、主人格に、その存在を認めてもらうチャンスだと感じて、
列をなして待っているところ」

うーん、、、、それ、解る。

双極Ⅱ型障害の体験記『あ、ひらおよぎ』の原稿作業を続けていると、
そのなかに現れる、当時の自分の様子や課題と、そっくりなものを、
いまの自分が体験している、ということが、しばしば起こります。

いましがた読み返していた部分の原稿、
病中の私の、フォーカシングのノートを引用した部分に、
名医(たぶん)が言ったことと全く同じことが、
その数日の間断のない苦しさへの、自分の気づき、自分の言葉、として、
書いてありました。

「みんなに呼ばれている感じ  
気付いて!
たくさんの自分
みんなに肩を叩かれている感じ
みんな大事 みんな大切 
今までそこに居たのに気づかなかった感じ
みんなとは、今まで無視されていた、小さな自分自身たちです。
みんなが、私の肩をたたいています。
みんなは興奮しています。それは今まで無視されてきたのが気づいてもらえそうだからです。
私は、この時機をのがすと皆に気付けなくなるのではと、休むことができずにいます。
皆 → 小人ちゃんたち」

解離していた、正確には、内部で解離していた、「小人ちゃんたち」の、
数十年耐えてようやく存在を認められ、声を伝えられる、興奮した思い。

確かに、きつい波を体験するごとに、私は、
フォーカシングやプロセスワークや周りの人たちとの対話を通して、
長年の課題として自分が抱えていたと解る貴重なメッセージを、得てきた。


・・でもなぁ、、、、きついんですよね〜。。


名医(たぶん)に勧めていただいた、解離についての教科書的な本、
『続 解離性障害』を、数ヶ月前に読んだのに続いて、
昨日、小人ちゃんたちを、今の自分に統合する方法について書かれた、
かなり異端な内容の本を、読みました。


そして、なんとなく、解ったこと。


今の私の症状は、解離が生じたときの、その理由たる、
耐え難い気分、
いわば、トラウマの再体験を伴って、
副人格(解離していた小人ちゃんたち)が、今の私に戻って来ている、
のだと思ったのです。

その、耐え難いがゆえに切り離した気分を抱えたまま、
数十年にもに渡り、
主人格たる今の私を守ってくれてきた、小人ちゃんたち。

私を想っての苦労に、
感謝を述べ、
ひとりに任せてしまったこと、更にはそれに気づかなかったこと、を謝り、
そして、抱え続けていた感情を、まずは手放してから、
今の私に融合してくださいねと、
改めて、お願いしてみています。


つまり、自分のこれまでの体験と、二冊の本で得たアイデアを、取り入れて、
昨日来、小人ちゃんたちを、自分に合流させている(つもりな)のですが・・・


なんだか良く解らないけど、なんとなく、
自分が、このところとしては、急に、しっかりとしたようには、感じています。
それと、昨夜、眠るとき、室温はこれまでとさして変わらないように思うのに、
体中がほかほかして感じて、厚い布団を一枚はいで、眠りました。
(これはたまたま『温活のススメ』というCDを聴いていた影響もあるのかな??)
それから、そうそう、
一昨夜は「死ぬかと思った」までに苦しかった、
息子が家を出る日が近づいていることへの、感情。
更に一日近づいてもいる昨夜は、どうなることかとびくびくしていましたが、
いつもそのタイミングで急に恐怖を感じる、夜中の目覚め時、
ーーああ、淋しいなあ。でもここまで育って、良かったな――
という、穏やかな淋しさを感じたまででした。
それは、今までの自分になく、
そして、今の私の、年齢相応の、感じ方だと、思いました。


一つ波を越えては、これで終りかと思いきや、
次の大波に飲み込まれてきた、この冬。
・・まだ来るのかなぁ。
・・・これで急落は終ったのだと、いいなぁ。
・・・・小人ちゃんたち、存在解ったし、感謝してるし、話し聴くからさ、
私を守るために頑張ってくれてきたんだし、私を苦しめるのは本望じゃないんだろうし、
ぜひ、抱えてきた感情は、あっちの世界に流してさ。

そして、一緒になって、元の、ひとつに戻って。

大人の自分として、(嫌な気分もあまり逃げずに味わって、)
これからは、しっかり、楽しく、
世界と向き合って生きて行こうよ☆

2017年3月10日金曜日

生き抜いている、という凄さ。双極Ⅱ型を生きる

・・・ということを書きたくて、繰り返し書き始めたのですが、
文が続きませんでした。


双極Ⅱ型障害になり、苦しい症状を生き抜き、
やがて薬を卒業し、定期通院も卒業し。


その勢いで、病気になる以前よりもずっと華やかに活躍する、
自分の人生が拓けたような気がしていました。


ところが。


以前よりも、どころじゃない。
頑張っても頑張っても、活躍の入口にすら至れず、
もがくほどに、蟻地獄に嵌った蟻であるかのように、
出口からは遠退いて感じ。


いま、私は、49歳です。
49歳の、男。


同級生たちの、社会で活躍する様子。
同級生たちの、主婦として役割を全うしている様子。


翻って自分の、社会的にも家庭的にも、役に立てていない、姿。


診療室で繰り返し嘆く私に、名医(たぶん)が言ったのは、
名医(たぶん)が診療する患者たち、
社会的にも家庭的にも活躍からほど遠く暮らす(のであろう)かれらへの、
尊敬の言葉でした。


かれらは、つまり、私も含む、病をきっかけに辛い人生を歩む人たちは、
社会的な活躍という点では、普通の人たちから大きく遅れをとっている。

でも、


・・・・


ああ、やっぱり、だめです。
この先をうまく、伝えられません。


とにかく、かれらが、私が、
病の辛さを生き抜いている、そのことが、
どれほど凄いことなのか。


名医(たぶん)は、診療上の、治療上の、方便としてではなく、
そこへの尊敬を私に伝え、私は、
思いがけず、あるいはこのところよくある通り、
診療室でたくさん泣きました。



私はもう、私の同級生たちの多くのように、
ひとつ会社やひとつ職業で、
知識と経験を積み重ね、
収入を積み重ね、
安泰と感じる道を歩む、ということは、できないんだなと、思いました。


私は私を生きるしか、ない。


それは、双極Ⅱ型、
病としての双極Ⅱ型障害という意味に限らず、
双極Ⅱ型というタイプの自分を、生き切るしかないのだなと、思いました。


・・・・


ああ、でもやっぱり、なにか、微妙に違う。
感じていることと一致することを、書けていない。


すみません。
なんだかまとまりのない記事になりました。


つきあって、読んで下さったあなたは、
今、間違いなく、生きています。


そのなかには、双極Ⅱ型障害にせよ、他の病でにせよ、
あるいは病ではなくとも、人生のなかで、
なにかしらの困難を抱えている方が、少なくないと思います。


困難を、生きる。生き抜く。


それは、凄いことなんだなと、自分はなかなかやるなと、
少しでも共感してもらえたら、
考えも文もまとまらなかったけど、
この記事を書いた意味が成されるように、思います☆

2017年3月3日金曜日

「感じについての感じ」を感じてみたら・・・

昨日の朝のこと。


急落と回復を繰り返しているこの冬。
回復の波と合い、息子の卒業式に出席でき、
その後には家内と楽しくお茶の時間も過ごせて。

これで上向いたか?

と思っていたのに、寝覚めの気分は思ったより低い。。


その、低さを感じさせる、体の感じを、
フォーカシング的に感じていると・・・


 ーー 怖い。怖がっている ーー


言葉が現れました。

 ーー 怖い。怖がっている ーー

体のその感じの部分(左胸のいくらか高い位置あたり)に、
それらの言葉を戻して照らし合わせてみると、
納得感はあるのですが、、、、


かと言って、
フォーカシングで体感とぴったりした言葉やイメージを得られたときに生じることの多い、
体感の大きな変化、、、
典型的には、その、(嫌な)感じが消えてしまう、ということは、
少しも起きませんでした。


これまでの長年に渡るフォーカシングの体験で、
ほかの色々な感じは、言葉を得ることで、
それなりの、あるいは劇的な、変化を体験してきているのに、
この、「怖い」は、
繰り返し得ている言葉なのに、少しも体感が変化しません。



私はふと、原稿の作業のため読み返している、
『やさしいフォーカシング』にあった、
「感じについての感じ」を感じてみる、ということを、思い出しました。


「怖い」と訴えていると分かった自分の部分、、、、
に、なにかの感じを持っている、別の私の部分。。


私は不意に、自分が「怖い」と感じることを、
否認している、
「怖い」と感じる自分を認めることを許せずにいる自分の部分の存在を、
在り在りと感じました。


そちらの自分にも、これまでも、繰り返し気づいてはいた。
でもなにか、今回は、気づきの度合いというのが、
違う気がする。
手応え、実感、とでもいうものが、伴っている気がする。


起きて、フォーカシング用のノートを机に拡げ、
気づいたことを記しているうちに、、、


新たな思いに気づき。
たくさん泣けて。

それを書いているうちに、
さらに新たな思いに気づき、
たくさん泣けて。


結局、2時間ほどかけて、
段階的に気づき、断続的に泣きました。



幼いころから、
自分がなにかを「怖い」と認めると、
つまりなにか(他人、社会、自分)に負ける、、負けて家に帰ると、
(父親に)殺されるイメージでいたことを、
私は覚えました。


そう自覚したことで思い出した、
幼いころからの、
怖かった、人や体験の数々。
あるいは、現在の、
怖く感じている、我ながら病的に怖がっている、
日常のあれこれ。


名医(たぶん)に近ごろの受診で言われた印象的な話に、
「どんな自分も愛する、ということが、○○さんのプロセスだとしたら、
それを受け入れるまで、理想の自分から遠ざかる体験を繰り返すのかも知れませんね」
というものがありました。


「怖い」と認めることを、自分に許すことが、私のプロセスだとしたら。
(と、書いていて、また涙が滲んできました)

「怖い」と感じさせる出来事が、幼いころからの長い長い年月、私に、
強度を増しつつ、次々とふりかかっていたのだろうと、思いました。

そして私は、
「怖い」と「怖いと認めることは許さない」の間で、
知らず識らず、綱引きを重ね、
引き裂かれ、疲弊していた。


今日、家内と息子が、息子の新生活の用品を物色しに、
近くのショッピングモールへ出かけることになっていたのですが、
私も一緒に出かけてお茶などしたいと思う自分がいる一方で、
人混みや商業施設を怖いと感じる自分、も感じました。


小さなことだけど、、、、
昨日の今日なので、
「怖い」と感じるほうの自分の部分を大切にして、
今日は着いて行くのをやめました。


怖い、と感じる自分。
怖いと感じることを認めない自分。


気づいた後者を捨てるのではなく、
気づいた前者ばかりを生きるのではなく、
両方の自分を、これからは大切にしたいと思います。


これまで、・・幼いころからの長きに渡り、
自覚なく、体の中で綱引きを続けていた、
各々の部分。

どちらも私のためながら、
同時に踏んだアクセルとブレーキのように、
これまでは流れを悪くする方向へ作用することが多かった。

でも、もう、気づいたからね。
これからは、協調して、
私のより良くより楽しい毎日のために、
力を発揮してね。



大きな気づきを繰り返し体験してきている、
今回の一連の不調。


双極Ⅱ型障害の体験の全体がそうであったように、
そしてそれは名医(たぶん)にかなり早期に指摘されたように、
今回の不調は、私の人生にとり、苦しくも必要な、
もっと言えば、最善のことが、最善のタイミングで、
起きているのかもしれないなと、、、


まだ渦中にありますが、少しはそう、思えてきています☆


☆★☆★☆★☆

(以下、『やさしいフォーカシング』より)

「トムは、お腹のあたりに怖さを感じていました。それは、おなじみの怖さだと気づきました。以前から何度も感じたことがあるものでした。この怖さに対して「友だちのように」接してみようとしたら、からだの内側から腹が立って我慢できないという感じが湧き上ってきました。「いつでも、ちょうど事がうまくいきそうになると、怖くなってしまうなんてもううんざりだ。」
 そこで、トムは、腹が立ってうんざりしている感じに「こんにちは」と挨拶しました。
(…)
 何かが邪魔をして友だちのように受け入れることが難しい状態を、感じについての感じ(…)と呼びます。「この怖さに腹が立つ」とか「この悲しさが痛い」とか「この行き詰まり状態に我慢できない」などです。
 このように、二つのことが同時に起こる場合があります。どちらに進んでも大丈夫です。たいていの場合、感じについての感じにしばらく付き合っていると、やがて楽になって、初めの感じに戻れるものです。でも、時には、セッションの残りがすべて、感じについての感じに費やされることもあります。こうなるのはすばらしい収穫です。なぜなら、それは、あなたが生きている世界の中心における基本的なあり方と関係していることが多いからです。それが変化する時、その変化は、あなたの生活や人生全体にさざ波のように広がっていくでしょう。」

2017年2月24日金曜日

エネルギ―の少ない自分をずっと許せずにいた、という気づき。双極Ⅱ型障害の病中も感じたことではあるけれど・・

双極Ⅱ型障害の体験記『あ、ひらおよぎ』の、
一通りの書き直し作業。
今日は、『やさしいフォーカシング』を読み返しています。

さきほど、技法について書いてある部分を読みながら、
自分の胃の、ずっとある、「感じ」を、
改めて感じてみました。

胃の、堅く閉ざして、縮こまっている感じ。

なにかを我慢しているとか、
原稿を進めるためによそ見をしないよう自分に強いている、

というイメージが、前からあったのですが、、、


やがて、その、
いずれにせよ動き無くいる自分、というものを、
責めている自分、の感じもあることに、気がつきました。


エネルギ―が、気力が、体力が、なくて、
仕事にせよ遊びにせよ家事にせよ人づきあいにせよ、
及び腰でばかりいる自分。
軽やかに行動する自分でありたいのに、
エネルギ―なく、動けずいる自分。


そういう自分は認識していたのですが、
そういう自分を責め、否定し、叱咤し、
お尻を叩き続けている自分、というものを、
わたしは改めて、感じました。


受け入れず責める自分が居ることを、
名医(たぶん)の指摘もあり、
双極Ⅱ型障害の病中から認識してはいたのですが、
今日は、改めて感じて、たくさん泣けました。


エネルギ―が少なく、
同居の時間が残りわずかとなってしまった息子と、
出かけたり遊んだりすることすら、
なかなかできずに居るわたし。

エネルギ―が少なく、
原稿作業をしていても、
なかなか、やる気や集中が続かない、わたし。

エネルギ―が少なく、
やろう!と思った、次へのなにかを、行動に移せないでいるばかりのわたし。

そういう自分に、落胆し、責めてばかりいました。


これからは、そういう、エネルギ―のない自分を、
もうすこし、素直に受け入れて、
動きたくないときは動かない自分を受け入れてみようと思いました。

逆接的ですが、
そうなることで、エネルギ―が湧くのかだろうと思います。

これでまた少し、楽になるかな〜☆

2017年2月23日木曜日

なんとなく、脱したような・・・双極Ⅱ型障害の体験と色々が似ていた、今回のアップダウンでした。

この冬になってから続いていた、
もっと長くは、今年になってから続いていた、
くり返しの急落をともなう、修行の日々を、
なんとなく、脱したような、気がしています。

まだ総括できていないけれど、
あえて一言でいうなら、
自分を改めて見つめ、受け入れる、
この一年・この冬でした。

それだけ書くと、
辛苦をともなうようには思えないのですが・・・

いや、自分を見つめるのって、苦しいです。
苦しかったです。
見つめた、思ってもみなかっただめだめな自分を、
受け入れるのもまた、
楽な道ではありませんでした。


苦しみと気づきの過程は、
双極性障害の体験記『あ、ひらおよぎ』の執筆作業のなか、
いま書き直している章が描く、10年程前の自分にあったそれらと、
かなりの部分が共通でした。

同じ道を歩んでしまっているような気もしましたが、
名医(たぶん)は、
「同じようでもステージが違う。神田橋先生が言う、螺旋階段、ですね」
とのこと。

そうだといいなと思います。
確かに、気づきの深さは違う。
病中の気づきでは至らなかった、より深い部分に、
今回は気づけたように思います。


しかし、、、


苦しかったです。
いや、今は単に修行中の一休みに居るだけで、まだ続くのかも知れませんが・・・


渦中に居た私は、今回のような状態を、一般的には「再発」と呼ぶのだろうと、
あるいは、
今回のような状態のまま「再発」に陥ってゆくのだろうと、思いました。

でも、今回もまた、私は薬を飲むことなく、再発と診断されることもなく、
こうして、ゆるゆると、回復できた(らしい)。

それは、名医(たぶん)の治療の方針が、想像するに、
薬で治すことを目指すのでもなく、医師が治そうとするのでもない、
患者が自分で自分を治せるようになるよう支援する、というものであろうことが、
功を奏しているのだろうと思いました。

名医(たぶん)だけでない、
家族や知人たちの抱えのなか、
たくさんの苦しみと気づきを経て、私は、
それ以前と同じ道の続きを、歩みだしています。
具体的には、『あ、ひらおよぎ』の執筆を続ける日々に、戻っています。


でも、同じなのだけど、
生活にも、執筆にも、どこか根本的な違いが、生じ始めていることもまた、感じます。


病と同じで、過ぎてしまうと、
豊かで、次の自分になるためには、必須だったと解る、
苦しみの日々。


・・いや、そんな、美しいばかりの話じゃないですよね〜。。
・・苦し過ぎたし〜。。


脱せたのだったら良いなと、思います☆

2017年2月12日日曜日

症状という名のメッセンジャー。双極Ⅱ型障害の治癒過程でも・・

急落と浮上を繰り返しています。

久しぶりにこうした状態に身を置いてみると、
その苦しみの大きさに、改めて、
双極Ⅱ型障害の年月は大変だったな〜と、
振り返っています。


いま、私が病気としての双極Ⅱ型障害に居るかどうかは、
自分ではよく解りませんが、
起きていることは、
いわゆる「症状」という名を付けられるものだと思います。

でも・・・

双極Ⅱ型障害に居た時期、それも、治癒へと進んでいなかった時期は、
症状を、単なる苦しみとしてしか、捉えていませんでした。

それが、今は、
苦しいことは苦しいし、渦中にいると、忘れがちでもあるけれど、
症状は、自分になにかを伝えようとしている、
「メッセンジャー」であると、知っています。


今回の急落と浮上の繰り返しも、
急落のたびに、苦しいけれど、苦しみの果てに、
なにか、自分が気付いていなかった、あるいは目をつむっていたことに、
気付かされて、
そして不思議と、症状は消え、突然のように、浮上しています。

双極Ⅱ型障害の治癒過程が、そのようなものでした。
症状が自分に伝えようとしていることに、気付くと、
あるいは、症状の声を聴けると、
不思議と、あれほどまでに苦しめられたいた症状が、
ピタリと止んでしまう。



まあ、毎回、これで終りか!と思うのですが、、、、
なかなか(笑)
体がというのか、魂がとでもいうのか、
症状を通して私に伝えようとしていることが残っているうちは、
次の症状、次の症状、とやって来るのですが。


病期を通して症状の声を聴くために私が使ったツールは、
「フォーカシング」と「プロセスワーク」でした。
いずれも本を読み、名医(たぶん)に助けられつつ、
自宅で、布団の上で、声を聴き、治癒へと進みました。

今回の気づき、得たメッセージのあれこれは、
多くは、病期に得た気づきによく似ています。
自分に根強くあるテーマに、こうして繰り返し取り組み、
やがて根本的に治癒してゆく、ということのようです。


さて、直近では昨日の気づきを経て、安定の中にいる今の私。

ちょっと、休養と療養で止まっていた、原稿執筆の作業に、
これから取り掛かろうと思います。


今までの作業の仕方では、行き詰まりを感じていました。
執筆についての気づきを得た訳ではないけれど、
今回の気づきを生かして、作業をし、内容を整えようと、思っています☆

2017年2月5日日曜日

「もっと」を緩める。

今朝も3時に目が覚めた時点で急落。。。

そのまま眠れずでした。

昼過ぎから布団に戻れたものの、
苦し過ぎて眠るどころか緩むこともできず。

しかたがない、という訳ではないのですが、
フォーカシングをしてみたところ、
その、苦しい部分から出てきたのは、
「恐ろしい」という言葉でした。


「恐ろしい」。。


夜中からの苦しさは急に引いて、
助かったものの、
一年近く断続的に続いている、
そしてこのところの気づきで、いったんは収まった、
心臓のバクバクした感じが、続いている。。


フォーカシングをしてもぴったりくるものがなく、
動きのあるものなので、プロセスワークがいいかと、
バクバクを起こす、より強くする、動きを思い浮かべました。

浮かんだのは、心臓を包み、強制的に拍動させている、二つの手。

イメージのままに拍動を強め、速めていくうちに、私の口を出たのは、

「もっと もっと もっと もっと もっと」


強い納得感があったわりに、拍動が穏やかになるということはなかったですが、
でも、やっぱり、納得感が残りました。


もっと速く、もっとたくさん、もっと上手に、もっと稼いで、、もっと立派に、、、


原稿執筆も、家族との関係も、これまでしてきた仕事も、つまりは生きること全般が、
この、「もっと」に、追い立てられていた、自らを追い立てていた、ことに、
思い至りました。


それは、人との関係性、いわゆる、「投影」にも、恐らく及んでおり・・


「もっと」書きたいですが(笑)やめておきます。


もっと、を手放すことは、怖く感じる。
でも、もっと、を緩めることを想像すると、
気持が楽になり、人生が、もう少し、スムーズになるような気がします。


・・・これで、このところ続いている、急落が、収まるといいのですが・・・


どうなるか解りませんが、とりあえず、
私が気付く必要がありながら、何年も、十数年も、あるいはもっと、
自覚しなかったことを、
自覚した、ということなのかもなと、今は思っています。